俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

われらとやつら~『丘の上のバカ』を少し読んだ初夏の日

「私」は「私たち」という、ほんとうはだれのことを指しているのかわからない、抽象的な、甘い囁きの中で、自分を見失ってゆく。それこそが、政治のことばが目指しているほんとうの目標なのである。

 

「私たち」ではない、「私たち」とは異なる価値観を持った「やつら」を排除するために使われる「私たち」ということば。

 

  勉強のような仕事のような…とここに書くことがあるけれど、それが袋小路に入ったかのように停滞し、すっきりせず。図書館の本、読まずに返そうかと思っていた一冊を、とりあえず半分ほど。

 まとまった感想は、今は書けない。オバマの広島訪問のさいの演説の中の「私」と「私たち」を数えてみる、という分析にするどいものを感じる。となれば、この二十年、オレはいったい何をしていたのか、という感がますます深まる。ザミャーチン『われら』は原文で一回読んだけど、難しくて最後のほうは構文がはなはだ取りづらかった記憶しかない。オーウェル、ハクスリーは、わりとよみやすかった。『われら』との対比で英国のバンUrusei YatsuraのCDを思い出すが、あれどこにしまい込んだだろうか。もちろん『うる星やつら』からとられたバンド名らしかったが。

 わからない? そんなことないでしょう。いま、政治に限らずいろんな場面で、個として立つことは非常にエネルギーの要るしんどいことだ。人のことは言えない、ぼくがそうだ。で、徒党を組む。そうすれば「私」=個として立つしんどさを避けて「われら」を名乗ることができ、「われら」ならざるものらを「やつら」として排除・抑圧できる。あとは往々にして、陰湿な相互攻撃。ところがくだんの英国のバンドはその排除すべき他者であるはずの「やつら」をバンド名として選び取り、"We are Urusei Yatsura"=「われらこそ(うるせい)やつら」と名乗る。この逆説的修辞の妙。

 大学院生としてぼくが学んだ大学では、むかし国文の院生らが『異徒』という研究同人誌をやっていた、らしい。「らしい」というのは、現物も見たことないし、ひょっとしたら大学の垣根を超えた運営方法だったのかもしれず、あくまで伝聞で知っているに過ぎないから。しかし、『異徒』、なんかいいなあ、とぼくは思った。大学って、そういう「やつら」が存在できてなんぼじゃないのか。古いでしょうか。

 さわやかな快晴。こういう日がずっと続くならいいけれど。

 

 

われら (岩波文庫)

われら (岩波文庫)

 

 

 

We Are Urusei Yatsura

We Are Urusei Yatsura

 

 

 

 

 

 

植草甚一さんなど読む世代ではなかったが

 どうしてこんなものを書いたんだろう。その簡単な理由は、推理小説が戦後第一次の流行現象をしめし、それを推進させた中心人物は、もちろん江戸川乱歩だったが、そんな流行現象の波に乗ったぼくは、何とかして泳ぎ切ってみようという気持ちになったからである。

 そうなったのは戦後しばらくしてアメリカ映画の試写が新橋の兼坂ビルの一室で、一週間に何回もあり、それはいつも朝の十時から映写開始されたが、それが終わって試写仲間の五人がいっしょに新橋の河っぷちにさしかかったときに始まった。

 この川は埋められてしまって、今は跡形もないが、たしか五軒のシロウト古本屋が十一時をすぎたころ並んで店を出し、進駐軍に出はいりしているクズ屋から仕込んだペーパーバックなどアメリカの本ばかり売っていた。[…]

 

  これ文庫で出てるのか。ぼくが持ってるのは単行本で、しかも数年前買った。そんな昔じゃない。たしか買ったのには理由があったはずだが、よく覚えていないんだ。誰かの研究報告にすごくマニアックな英米ミステリのことが出てきたりして、それで買ったのだろうか。

 何しろ古本話には弱くて、上に書かれているのはぼくが知りようもない戦後すぐの東京の洋書古本事情で、ああうらやましい。

 ただ、もう古本屋はバタバタ潰れていく時代で、紙の本に執着のあるぼくですら、今冬、洋古書を注文しかけて、まてよ、とアマゾンを検索、同じ本がキンドルで数百円で買えるのを知って、注文を思いとどまったことがあった。これだもの、古本屋さんも、大変なはずだ。

 また、戦後の進駐軍の兵隊さんの読み捨て用の本については、たしかわが北海道生まれの山口昌男さんも書いておられたと思う。手伝いに動員されてキャンプに行き、落ちているペーパーバックを弁当箱に忍ばせて持ち出すとか、そんな話を語っておられなかったか。

 ぼくも大学院生時代、H・G・ウェルズを読む必要があって図書館の書庫へ入ったが、ろくな本がなく、ようやく見つけた『モロー博士の島』は丸めてポケットに突っこめるようになっているいわゆるGI文庫だったので、何だか途方もない昔に連れ戻された気分になったのだった。

 ともあれ、推理小説という流行現象の波、というところ。それに乗ってしまった著者が、それを「何とかして泳ぎ切ってみよう」というところが、いいねえ。そうでなくっては物書きになどなれんだろう。

 パソコンのSSD換装、うまくいかず現状で戻されてきた。HDDが2TBなので、たとえデータ量が数百GBで余裕があると思っても、容量の小さなSSDにクローン作業をするとエラーが出てしまってうまくいかないんだとか。


JJおじさん・ジャズを語る!

 

来た球を打つだけと長嶋さんは言う~英露独仏その他の読書法という動画

 新渡戸、岡倉、斎藤の場合もそうであったが、一般に名人上手と言われる人たちの修行法を調べるのは容易ではない。彼ら自身、そもそも自分がどうやってその域に達したのかをあまり意識していないからだ。

 そのため、よく言われるように、一流の人たちはかならずしも良い教師ではない。長嶋さんのように、打撃の秘訣を聞かれて、「来た球を打つだけ」などと禅問答のようなことを言ってしまう。経験的に見て、修行の苦労話などを自慢気に語ったり、一日練習を休んだら三日遅れるなどといったことをお題目のようにとなえるのは、一流になり切れなかった人に多いようだ。

 これは名人上手が努力をしないという意味ではない。彼らは、常人には到底真似もできないような努力をしているのだが、いわば日常的に努力そのものの中に没入しているために、それを苦労として客体化していないだけなのだ。

 

英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)

英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)

 

  メモ代わりに引いておこう。

 デスクトップ機をSSD換装のために修理屋さんに持って行ってもらっているが、ひょっとしたらクローン作業がうまくいかず、換装できないまま返ってくるかもしれない。その場合の話もしてあるので、それはそれで仕方ない。数万の出費で、デスクトップ機をあと数年もたせたいという心づもりだから、もしダメとなったら、今のまま使いつつ、早めに後継機を探そう。 

 SSD換装、自分でやってできそうに思っていたが、どうもやはりそんなに簡単ではないみたいで、安易に手がけなくて却ってよかった。

 明日からまた気温が上がるが、夕方のローカル局気象予報士は、「まるで初夏のような天気になるでしょう」と言っていた。ということは北海道は今はまだ初夏じゃないんだろう。

 未明から起きて本を読んでいたけれど、四時ごろもうほの明るいので、日の長さからすればもう夏と考えるしかない。五時ごろからまた疲れて寝てしまった。

 夢のなかでは、姪たちが帰ってきたり、芸術家が町内に住み着いていたり、にぎやかだったが、日中、テレビを消していると本当に静かだ。テレビもあんまりおもしろくない。CNNも、四〇分ぐらい見ていたらもういいやという気になる。これは、パソコンを修理に出しているのでなんとなく気になっているせいもあるし、本を読みあぐねて勉強が滞っているせいもある。

 たしか斎藤先生は、英語を仕事にする人は、一日五〇ページ英文を読め、とも書いておられた。それをさしたる努力感なしにできる人が天才だろう。ぼくなどはそんな日があったら、ここで得々と語ってしまう。で、若いうちにその段階を通り過ぎることができたら、名人への道もあっただろうけど、日暮れて道遠し。


Tips on how to read books in English, Russian, German, French or any foreign language

 

Follow Me To The Bookstore~野口英世のシェイクスピア・モギケンの『赤毛のアン』

 もちろん、英語教育にも改善すべき点はいくらでもある。意見を言っていただくことはありがたいのだが、一番困るのは、自分の英語が相当なものだと勘違いしている人(しかも、しかるべき地位にいる人)が、公的な場で無責任かつ的外れな意見を述べることだ。

 

英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)

英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)

 

  もうこの問題はいいやね。ぼくもとうに大学の人ではないし、もともと英語教師でもない。

 それでも、この一節など読むと、この一節自体と言うより、こんな高名な先生でもこんなことを書かざるを得ないその構造というか、そこにため息が出る。

 ここに例の文系と理系の対立の図式がすっぽりとおおいかぶさって、ああいやだいやだと言いたくなるが、もうぼくには関係のないことではあるな。

 この一節は野口英世のことを書いた章からの引用なのだけれど、アメリカへ渡る船の上で野口がシェイクスピアを読んでいて、

「現代の米大陸に行かうとするものが、そんな古い英文を読むより、何か現代のものを読んだ方がいゝではないか」

 と問われ、

「古くとも、シェークスピアの英文は、代表的なものです。先づ我々は、古いものを初めから読む方がいゝと思ひます」

と答えるエピソードがある。著者いわく、

彼の卓越した英語力を示す逸話であり、とくに理系の人に大いに参考にしてもらいたい考え方である。

 ただぼくも、これを引用して悪感情をあおろうというのではないのですよ。そういうことこそくだらない。シェークスピアというから一種の臭みがあるが、これは程度こそ違え、モギケンが高校生のころ『赤毛のアン』を次々読破した話とかとあまり変わらないと思う。

 理系に限らず、文系であっても、社会系の人、歴史系の人、英語で小説を読むという経験をしたことのない人は、いっぺんしてみるといい。語学に関する考え方がガラッと変わり、視野がうんと広くなること請け合いだ。そこまでやってぜんぜん損はないですよ。真に若い人のことを思って英語の重要性を言う人であれば、「こんなことに時間を費やすのは損だ…」と言う人は、まずいないはずだ。

 チャールズ・ラムを買ったきりどこかにしまい込んで出てこないが、少し探してみよう。その前にぼくはロシア語のほう、自主的な冬学期の課題を積み残したままなんだ。

 


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「赤毛のアン」で英語づけ

「赤毛のアン」で英語づけ

 
「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)

「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)

 

 

 

モギケンの英語シャワーBOX 実践版

モギケンの英語シャワーBOX 実践版

 

 

パラノイド~ブラック・サバスとソルジェニーツィン

"The seclusion wasn't a question of 'I don't want to be seen'," Ignat replies. "After all the difficulties of writing in the USSR he finally had a chance to deepen his involvement in the major work of his life, The Red Wheel[an epic of the revolution, only partly translated into English]. He wanted to go someplace quiet where he could work without distractions. He said that he wished that he could have had the luxury to spend more time collecting impressions, mingling with Americans and travelling. But he knew that The Red Wheel would take every ounce of his time and energy and so he made his choice."

デイリー・ヨミウリ』、2010年1月10日、「世をすねた怒れる予言者? それは自分の知る父親ではないとソルジェニーツィンの息子」

 もう何年振りかで英字新聞のスクラップブックを引っ張り出して探したのがこの記事で、たしかソルジェニーツィンのことを英字新聞で読んだ記憶があった。これだ。

 ロシア革命のことは史学科か法学部政治学科に行かないと習得できないように昨日書いたら、ソルジェニーツィンの『赤い車輪』のことを教えてくれるメールをくれた人があった。で、英訳があるはずで、英訳で読みゃいいや、と思ったら英訳は途中までしか出てないんだそうだ。ここにもそのことはきちんと書いてあったりする。

 ついでに、たまに利用する古本のサイトに行ったら、『赤い車輪』ロシア語版、あるけど、今月はもうお金なくて買えない。邦訳も中途半端なままで全訳は出てない。やっぱ、キンドルで英訳を買うかね。

 それにしても、ここに引用はしないけれど、アメリカ・ヴァーモント州で隠遁生活中、息子らがブラック・サバスのレコードを買ってきてもソルジェニーツィンはとがめなかったとか、面白いなあ。この記事に登場するのはイグナート・ソルジェニーツィンさんという、ピアニストで指揮者という人だ。

 

November 1916: A Novel: The Red Wheel II

November 1916: A Novel: The Red Wheel II

 

 

 

August 1914: A Novel: The Red Wheel I

August 1914: A Novel: The Red Wheel I

 

 

 

一九一四年八月〈上〉 (1972年)

一九一四年八月〈上〉 (1972年)

 

 

 

一九一四年八月〈下〉 (1972年)
 

 

 このあいだ組み立てたラジオはよく鳴る。NHK第二で心理学のことをしゃべっているのは、加藤諦三だ。こないだの抑圧の話も、よくこなれていて面白かった。ぼくはこの人の本はたしか読まなかったけれど、話はとても面白い。前にも書いたけれど、心理学の新書本をどっさり読んだことがあって、そのころ読んだいろんな話を思い出す。心理学としてはもう古いのかもしれないが、悲観と楽観の話なんか、これでじゅうぶんわかる。いろいろ耳が痛い講義だけどね。

 ただ、寺山修司が、「加藤諦三なんか読むな」と書いて(もちろん寺山ならそう言うだろう)、愛読者から「なぜ読んではいけないのか」と抗議の手紙が来て、「そんなに読みたいなら読めばいい」と書いていたのがすごく印象に残っていて、あれはなんという本だったか。

 

寺山修司から高校生へ―時速100キロの人生相談

寺山修司から高校生へ―時速100キロの人生相談

 

 

 

 

自分に気づく心理学

自分に気づく心理学

 
「めんどくさい人」の心理

「めんどくさい人」の心理

 

 


Black Sabbath - Paranoid (Lyrics)

 

 

身も心も~ロシア革命とたこさんウインナの土曜日

 西欧では、はじめに地主や企業家といった有産層の利害を代表する政党がつくられ、そのあとで労働者のための政党がつくられた。この流れはそのまま、議会政治の発達、有権者の拡大、それに国民統合の歴史であった。

 ロシアでは順序は逆であった。はじめに地下活動をおこなう勇気と大胆さをもった社会主義者が、非合法で政党をつくった。「十月詔書」で結社の自由が認められるのと軌を一にして、有産者もようやく政党をつくり出した。

 

ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)

ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)

 

  一応メモっておこう。歴史家に言われないと、この辺のことはぼくらは気づかないんじゃないかなと思う。

 このへんのことは、文学部でも史学科(今は学科とは言わないところが多いが)や、法学部の政治学専攻の人なら先生から教わるということがあるのかもしれない。ひょっとしたら、大学院に入った時ぼくが期待していたのも、他の学科や学部にそうした講義を聴きに行けるかも…ということだったかもしれないけれど、教職のことで重大なカン違いをしていたぼくは、英文の学部生にまじって英語を読む授業をどっさりとる羽目になり、日露交渉史とかロシア史とか、国際政治学とかはついに講義をとれなかった。もちろん、本業のロシア語の演習や講読について行かねばならず、もういっぱいいっぱいだった。

 だからというのも強引だけれど、就職してからはこういう方面のことが弱くて、ずいぶん引け目を感じて困ることも多かった。そういうのは教える仕事をしながら並行してどろなわ式にやるしかなく、それが、研究室を持たない今でも続いている。

 これは、今日中に読めるはずだったけれど、一日棒に振ってしまった。なにやかや、宿題だけが増えていく。あと何回も生まれ直さなければこなせないほどの宿題だが、今度生まれ変わってきたときは別の銀河系の地球型惑星三葉虫かもしれないから、ロシア革命は関係ないだろう。とにかく生きてるうちになんとかしないといけない。

 老母が妹と外出したので、TVを消してオーディオを鳴らせる日だったけれど、けっきょく、渡辺貞夫のピット・インのライヴを一枚聴いただけ。これは何度聴いても味がある。帰宅した老母のお土産は寿司。それと、赤いウインナーに切れ目を入れて炒めてたこさんにする。たこさんウインナを食べると、女子のためにお弁当作ったりして楽しかったころのことを思い出して、ちょっと切ない。


Cedar Walton Trio with Sadao Watanabe・Body & Soul

 

 

いったい現状を把握している者はいるのだろうか

 特徴的であったのは、呼称についての規定である。ロシア軍では将校の階級ごとに敬称に複雑な差がつけられていたが、それらは全て廃止され、今後は「将校さん」と呼ぶことになった。一方で、将校が兵士を「お前」呼ばわりすることは厳禁された。ソヴィエトは日常的な行為のレヴェルで、徹底的に権威を破壊しようとしていた。

 

ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)

ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)

 

  これははじめて知ったけれど、似たようなことは二十年以上前の大学院生時代に読みかじっていた。ロシアでは尊敬をこめてひとに呼びかけるときは姓を使わず、名前と父称を使う。父称というのは父親の名から自動的に決まるミドルネームで、男性なら「…ヴィチ」、女性なら「…ヴナ」という終わり方をしている、あれだ。(「ショスタコーヴィチ」のように姓が「ヴィチ」で終わる形をしていることもあるが、それはここでは置いておく)。で、革命後は召使たちが、主人にたいして「わたしのことも名と父称で呼んでください」と要求することがあったという例を読んで、強い印象を受けたことが昔あった。

 二人称の代名詞も、親密な間柄や目下の者にたいしては「お前」だ。これは呼びかけだけの問題ではなくて、動詞のかたちを決める主語が二人称単数の「お前」なのだ。敬う場合には相手がひとりであっても二人称複数形を使えば「あなた」の意味になる。この「お前」が禁止されたというのは、拾っておこう。

 ぼくは文学専攻だったけれど、ロシア語学専攻だったとしたら、革命と言語の関係というのはすごく興味があった。日本にいてどれだけ資料を使えたかははなはだ心もとないけれど、やってみたかった気持ちは今でも忘れない。

 今朝は眠り浅く、思い切って未明に布団を飛び出して、タルコフスキーをロシア語字幕で見ていたが、面白かったなあ。もう何度か見直さないといかんなこれは。

 先日初めて通販で買った靴がけっこう良くて、外へ出るのが楽しい。昨日は雨で、買い物に出るとき老母が、「長靴を履いて行けば」というのを、これくらい大丈夫だろうからと、新調した靴で出かけたが、かなりぐっしょり濡れてしまった。すぐに新聞紙を丸めて型崩れしないようにして乾燥させ、乾いたところでクリームと防水スプレー。元通りになった。

 今日は図書館。これを借りてきた。買ってもいいが。

 

文読む月日〈上〉 (ちくま文庫)

文読む月日〈上〉 (ちくま文庫)

 
文読む月日 (中) (ちくま書房)

文読む月日 (中) (ちくま書房)

 
文読む月日 下 (ちくま文庫)

文読む月日 下 (ちくま文庫)

 

  あと、これは思い切って注文。ノンアル飲料を十日がまんすればいいだろう。

 

 

 外国文学研究における研究対象の次数の繰り下がり問題を考えているうち、これは読まないと…という気持ちになる。読んでからまた何か考えよう。


Chicago - Does Anybody Really Know What Time It Is?